☆ 初めての空の下で

 屋上。
 ここは、あの手紙を書いた詞露と言う少年が、初めて空を観た場所らしい。

「懐かしい、かな。覚えてないけど」
 遙希も、その時、一緒に居たらしい。

「覚えてない。当たり前だよ。初めて来た。懐かしくなんかない。初めての場所だ」

「忘れただけよ」
「初めてだ」
「そうね。そうね、そうだわ」

「あんな手紙、ただの、創った物語だ。誰かが、僕たちを惑わせようとして、創っただけさ。初めて来た」
「そうだね」

 綺麗な空と海。
 綺麗な女の子。
 忘れるわけがない。

「……遙愛」
「想い出した?」
 想い出していない。彼女だって覚えていないだろう。
 でも、あの手紙を書いた少年ならこう応えるだろう。

「忘れるわけ無いよ。遙愛は僕の恋人だもん」
「そうね、ごめんね、記憶を消すなんて、勝手なことして。でも、大丈夫だったみたいね」

「うん、大丈夫。何もなかった。悲しいことなんて無かった」
 本当にそうなのだ。覚えていないのだから。
 それに、今、この綺麗な空の下に、一緒に居る。
 いったい、何が悲しいのだろう?

 僕が今、涙を流しているのは、あの手紙に書かれていた物語のせいだ。
 物語に泣かされるなんて、珍しいことじゃない。
 僕は、ちょっと涙もろいのだ。彼女も、そうなのだろう。

 僕たちは、あの手紙を時々読み返して泣くだろう。
 でも、あれは僕たちのことじゃない。
 もういない恋人たちのお話だ。

 僕たちの物語は、ここから始める。

 いつもそうなのだ。そうなのだろう。
 これまでも、そうだったのかもしれない。

 あの手紙を書いた彼も、そうだったのかもしれない。
 ただ知らされなかっただけで、消された記憶があったのかもしれない。

 彼の境遇を考えれば、ありそうなことだ。目隠しして拘束されていた、その前のことは書かれていなかった。

 でも、今度は、手紙をもらった。
 彼は、手紙を書いてくれた。

 僕が彼だとしたら。
 ちょっと誇らしい。

 ありがとう、詞露。
 遙愛の、遙希のこと、教えてくれて。
 大切にする。

「遙愛、いや、遙希」
「何?」

「僕の恋人になってほしい」
「……うん。ありがとう。初めて聴いたのよね、その言葉」
「うん、初めて言った。遙愛は詞露君の恋人。遙希には、僕の、愛凰の恋人になってほしい」

「僕は、あの手紙を書いた詞露君のように、遙希を幸せにできるか、解らないけど。でも、大切にする」

「幸せになれるわ。私、愛凰のこと、解るのよ。愛凰が幸せになれば良いの。そうすれば、遙希も幸せになれる」

「ありがとう……遙希、彼は、彼女は、あの二人は……詞露と遙愛は、幸せになれたのかな」

「なれるわ。なれるわよ。ねえ、詞露、幸せでしょ?」
「うん。幸せだよ、遙愛。解るよね」

 彼は僕なのだから、幸せになれる。なれないなんてことはない。幸せにする。
 遙愛も、遙希も。

 ありがとう、詞露。
 僕はキミを幸せにしなくちゃ。

 ありがとう、詞露。
 キミのこと、教えてくれて。
 大切にする。

 ありがとう、愛凰。
 思い出しちゃってごめん。もう、キミは居ないのかもしれない。
 でも、いつか、何処かで……
 いや、いつでも会える。

「ねえ、遙愛、これからも、遙希って呼んだ方が良い?」
「どっちでも良いわ。詞露の好きにして。私は詞露の考えること、解るから。詞露は私の考えること、解らないのよね。良かった」

「良かったの?」
「だって、恥ずかしいもの。私が詞露のこと、どれだけ求めてるか知られたら。治ったって、変わらないわ。詞露が居なくなったら、困るわ。そのこと、知られたら、困るわ」

「知ってるつもりだけど……知らないんだろうな。狡いよ、遙愛」

「そうだね、愛凰。詞露によろしくね。怒って良いって、伝えておいて」
「狡いなあ」

 思い出した。たぶん……
 遙愛もそうだろう。僕の心が解る遙愛なら、僕が思い出せば同じだろう。

 記憶が消えるなんて無い。
 忘れても、消えるわけじゃない。
 愛凰のことは、忘れていない。
 思い出せない、心細い愛凰。僕と同じ。僕のことだ。

「戻ろう、遙希」
「うん。愛凰、行きましょ。良い名前ね。気に入ってるでしょ?」
「だって、詞露にもらったんだもの」

「そうね。ちょっとややこしいけど、付き合うわよ。私のせいだもんね。変なことして、ごめんね」
「うん。大丈夫。遙希のせいじゃない」

 お嬢様たちの所へ戻ろう。
 僕の恋人は、遙愛だけじゃない。

 扉を抜ける。
 切り取られた空。
 広い場所から、戻る。

 そう、戻るんだ。
 みんなと会った場所へ。

 家に帰るようなものだ。
 そこを捨てる必要は無い。
 そこから始まった場所、大切にしよう。

閉ざされる自由と壊す自由
青々と透明に吹き上がる熱情

 

終曲~ありがとうございました

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